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[stage] 長編小説・書き物系
eine Erinnerung aus fernen Tagen ~遠き日の記憶~
聖杖を持つ者 ―第7幕― 第49章
まだ、見上げた空を自由に舞う鳥達のようになりたいと、いつも願っていたあの頃。この部屋は囚われの鳥のカゴでしかなかった。
私には羽がない。いつの頃からか、それでもいいと思えるようになっていた。それは、隣に寄り添うあなたが居てくれたから―――
窓の外から聞こえてきたのは、平穏とはとても言えない日常を過ごすことに慣れてしまっていた私にとっても、危機感を覚えずにはいられない音だった。
「ローラ?ここに居るのか?!」
もう、今では、駆けつけてくれるあの人は、ここには居ない・・・。場違いだと思っていても、そう思わずに居られるほど、心の整理はまだ出来ていなかった。
「ダーダネル?!」
「ボルアス殿の所に向かう、今すぐだ。」
状況を整理すると、それはにわかには信じられない話だった。
「ローズハイム義勇軍がアークテラス領へ侵入した。ただの賊ならばただちに討伐するまでだが、あれは、女王カローナ直属の部隊。応対を間違えたならば、厄介な事態を招くことになる・・・。」
実際のところ、義勇軍の中には、これ以上踏み込めば確実に排除するしかなくなるという限界点を越えようとする者達も、アークテラス聖騎士団全員を敵に回して無傷で帰れるなどと思う者達も居なかった。
「―――話し合いで解決しようと言うなら、それで構わない。おおよそ、解決できる要求をするがために、我が国に踏み入ったようには思えないが・・・。」
心当たりがないわけではなかった。アークテラス聖騎士団―――、かつてより、教皇国セレンディノスの盾となってきた永き歴史を持つ。
「教皇国にお目通りを願いたい。」
「まず、我が国に話を通したのだから、聞く耳位は持とう。―――ローズハイムが、セレンディノスに用があるとすれば、ひとつだけ―――」
その場に居る人間で、カローナ女王を知らないなどということでもない限り、要件に心当たりのない人間など居るはずもなかった。
「・・・悲劇の少女―――、この場に、心当たりのある人間が居るならば、名乗り出ていただきたい―――」
最初に出逢ったのと、私の力―――召喚士としての力をはっきりと意識したのは、ちょうど同じ頃だった。幼かった私にとって、どちらもはっきりと印象に残る出来事だった。
「君が、ローラ・・・?」
「ええ。あなたが、クロート=トゥリューブ。」
そう名前を呼びかけられたあの人は、どこか少しだけぎこちなく笑みを浮かべてくれた。
トゥリューブ家。かつての世では、スートレアスの街における隆盛を知らぬ者は居なかった名家。アートテルトの街から出たこともなかった私にとって、とても想像もつかない雲の上の人。
「クランバルトの叔父様、今日は、よろしくお願いします・・・。」
「ああ・・・。心配することなど何もない。」
叔父は、あの日―――、セレンディノス教皇国にて執り行われることになっていた式典―――、聖騎士団への入団式に、近隣の子たちを引率する役を担っていた。
「それがかの有名なトゥリューブ家印のなまくら刀かよ?さすがは名門の家宝だな。」
それは少しだけ幼いが、明らかにクロートのことを挑発する気満々の声だった。
「ラノール坊ちゃん・・・、いえ、これは失礼。聖騎士団に入れる歳なのですから、
ラノール様とお呼びするべきだろうね。」
「ふん、クランバルト家か・・・。別にいい、呼び方の1つくらいで。そんな事よりも、お前、クロートって名前なんだってな―――」
「確かに両親の名前が世間に広く知られているというのは大切なことよ。家名を傷付けないように、名誉を守るようにするのは、その家に生まれたものの義務。―――もっとも、それを実践できる実力を伴ってこそね。」
「な、何を言いやがる・・、ジェシカとかいう名前だったよな、知ってるぜ。お前の両親が聖騎士団員だってこともな!!」
レイピアがラノールに対して突き付けられる。
「聖騎士団となろう者に必要とされるものは、親の名前ではないわ。実力よ。」
「・・・あら、いいこと言ってくれるわね。私もそうだと思うわ。クランバルト家に生まれたことを、どうのこうの言うつもりなんてないけど、―――私も、聖騎士団に入ったあかつきには、セレンディノス教皇国にいらっしゃる聖騎士の誰にも負けない、一流の召喚術士になる―――なんてね。」
「さぁ、それぐらいにして。人が揃ったようだな。ならば、そろそろ行くとするか。」
「言い返すくらいしてみろよ、没落した名門一家のクロート=トゥリューブさんよ!!」
「あ、別に肩を持つつもりなんてないけど、世間知らずな名門のお坊ちゃまなあなたには、 そこの大人な人の代わりに、教えておこうかしらね。」
ジェシカは、振り返りながら告げた。
「聖騎士団には身分があなたより上の方ぐらいらっしゃるのよ、一国の皇女様ともあろうお方がね―――。」
セレンディノス教皇国―――、旧くより続く歴史の中で、アークテラス聖騎士団とのつながりもまた、それと同じぐらいの長い歴史を持つ。その聖騎士団に所属し、高い実力を誇ることは、周辺諸国において、最も高い名誉として数えられるものだった。
それゆえ、セレンディノス出身の者の多くは、聖騎士団員を親に持つ者、高い召喚術士としての適性を持つ者が多く、また、出身でなくとも、その道を子供に目指させようと考える者は、決して少なくない。
「私はアークテラス聖騎士団所属の召喚術士、ダーダネルという。今日は、聖騎士団選抜に集まってくれたことをありがたく思う。」
その日、私は、ダーダネルという神聖系召喚術士に初めて出会った。セレンディノス教皇国に来て、会ってみたいと思っていた、私にとっては、目標で、憧れの人の1人。
「この中の多くの者と、いずれは、教皇国とアークテラスを守ることになるだろう。楽しみにしている。」
この場で、その問いに答える人間は居ない。心当たりなどあるはずがないのだから、それは当然だとして、もし、あったとして、答える者など、居るはずがない。
「アークテラス聖騎士団は、我がアークテラスを守る盾であり、―――教皇国、セレンディノスに害を成そうとする者には、容赦なく矛を貫く―――。永き歴史で、それを証明し続けてきたということを、―――よもや、ローズハイム国に知らぬ者が居るとでも?」
居ない―――、歴史が確かに証明しているその事実すら、そう言い切れる者が居ないこともまた、その場に居る人間なら全員が知っていることだった。
「―――これは、・・・女王陛下、カローナ様の・・・命だ。」
「それでは、まるで―――」
その声は、私にとって、もう、長い間ずっと、―――聖騎士団に入った、あの時から、聞きつづけてきた声―――。私の目標で、憧れの、偉大なる神聖系召喚術士にして、・・・私の、もう一人の、仲間―――。
「どう答えようが、―――戦争をしようと言っているように聞こえるのだが・・・。」
クロート・・・。あなたは、何故、ここに居ないの?
こんな時、あなたなら・・・、あなたが居たのなら、止められたかもしれないなんて、どこかで、そう願っている私がそこには居た。
アークテラス聖騎士団、トップの実績を誇ると謳われたパーティは、3人揃っていなければダメ。私は、もう、そのことを、ずっと前から知っていた・・・。
「こうして、あなたと剣を向け合うのは、初めてかしらね。」
「初めて会った時から、ずっと見ていたが、―――腕は本当に確かだな。」
選抜試験の内容は、戦闘に関わるものがほとんど。つまり、実力がない者に、資格はない・・・。そう言い切っていた本人は、自らの実力をもって示し続けていた。
「そう、それなら、容赦しなくてもいいわね。」
「クロート?!」
「よそ見をしているだなんて、よほど大切な人なのですね?」
それは透き通るような高いソプラノ歌手を思わせる声。よそ見なんてしていた私のことを棚に上げても、それは、戦いの場には相応しくない声だと思った。
「あなたが弱いだなんて言いませんけど、それでも、手を抜いて下さらなくて、結構よ。」
「わ・・・、私は―――。」
「そこまでだ。」
我に返った頃には、ソードが突きつけられていた。
「もう十分です、―――皇女様。」
「あら、もう終わりでいいのかしら、ベリアル?」
膝をついた私の前で、そう言いながら、ベリアルに付いていく、皇女と呼ばれた女性。―――ターニアレフ第1皇女、エリアス。
「ベリアルさん?!見ていらしたのですね?」
「・・・ああ、君はジェシカか。流石は、あのお二人の娘といったところか。」
クロートを思いっきり叩き伏せて、上機嫌に見えたジェシカは、そう言われた瞬間、少しだけ表情を暗くする。
「まぁ、あれだろ。相手がクロートじゃあ、誰がやったって同じ事だろうぜ。娘だとかそんなん関係ねぇだろ・・・。気にするだけ損って奴だ。」
「な、何よ・・・、別に、気にしてなんか―――」
その後、私は、正式に聖騎士団員に選ばれた。
「聖騎士団の長、ボルアスだ。この場所に居る、お前たちは皆、今、この時より、このアークテラス、そして、セレンディノス教皇国のために、その命を捧げることとなる。」
ボルアス騎士団長の隣には、ダーダネルを始めとする名の知れた騎士団員、教皇国の修道女らが並ぶ。そして、その横にはもう一人・・・。
「知っての通り、今、この聖騎士団には、我が国と友好関係を築く途上にあるターニアレフ国の第一皇女、エリアス=アレフが所属している。今後は、我が団員からも積極的にターニアレフ国との関わりを持つ者も増えていくことであろう。そのためにも、お前たちに求められることは、日々の絶えなき研鑽だ。」
話を終えた後、ボルアスは、一度エリアスに会釈し、会場から席を外した。
その後、パーティの編成が行われた。ある意味で、今後の人生を左右すると言ってもいい重大なイベント。組んだ相手によっては、活躍の場すら与えられなくなりかねない。
「ちっ、なんで、俺が、クロート、お前なんかと?!」
「本当、なんで、私があなた達と・・・。足を引っ張らないで欲しいのだけど・・・。」
「一緒のパーティになれたな。よろしく、ローラ。」
本当は気付いていた。私も、今、目の前にいる人も、1人だけで戦えば、今、周りに居る誰にも、勝つことができない。
「ローラとクロートか。恐らく、このパーティにおいて、組んで最も強力なのは、お前たち2人だ。ダーダネルさんもまた、そう考えているようだ・・・。」
「あら、ベリアルさん。むしろ、あなたが居るからこそ、このパーティは最強よ。むしろ、私と2人だけの方が、足を引っ張る方がいらっしゃらなくて済みますでしょうに。」
自信満々にそう言い切ったジェシカに振り返り、ベリアルは静かに答える。
「ああ、期待しているからな・・・。」
単純な力量差、生まれ持った才能の違い。恐らく、私は、1人前線に立ち、誰の助力もなしに強敵に立ち向かえる力量を認められて、聖騎士団に選出されたわけでは決してない。
このパーティに所属すること、そして、目の前にいる、あの人の振るう剣に依存すること。それだけが、私に求められること―――。それだけが、私に認められた、召喚術士としての存在意義・・・。
その後、他の団員のパーティから見れば、私のパーティは、一見するとうまく機能しているように見えていた。最初こそ親の七光りなどと揶揄されていたジェシカは、実力を着実に示していた。その姿勢は、それほど活躍を見せられず、何度となく自信を喪失してしまいそうになるラノールをつなぎとめる程度には、目覚ましい活躍だったと言えた。
そして、ダーダネルも認めたという、クロートの剣と、私の召喚術のコンビネーションにより完成する、召喚剣術は、もはや、それ自体が、作戦の成功可否を決定付けるほどの意味を持つほどになっていた。
それは、一方で、パーティとしての危うさを露見させる。
「またしくじったの?!クロート、あなた・・・、よくも、ベリアルさんの前で、私に恥をかかせてくれたわね?」
「ちっ、これだから、なまくら刀なんか振ってる野郎に任せられねぇんだよ。ちょっと最近、調子に乗ってんじゃあねぇのか?」
「ラノール、あなたは黙ってて。本当に、・・・本当に久しぶりに、私の姿を、ベリアルさんに、・・・見ていただけるはずでしたのに―――」
ベリアルとダーダネルは、セレンディノス出身であり、既に長い期間を聖騎士として共に過ごしている。私は、ダーダネルという高名な召喚術士に認められることこそが、何よりも重要なことと考えていた。そのためにも、まず、パーティのリーダーであるベリアルにこそ、入団したあの時とは違うということを、認めさせなければならない。
大抵、そうした時に、このパーティのバランスは、崩壊しているのだと、そう気付いた頃には、ベリアルは、多くの時間をダーダネルの元で過ごすようになっていた。
「あの野郎―――、最近じゃあ、あのエリアスの周りにばっかついて居やがる・・・。ちっ、リーダー名乗ってやがるだけあって、権力に付き従うしか能がねぇんだろうよ。今に見てやがれよ!!ジェシカ、クロートなんかほっとけ。俺が始末してやらぁ!!」
「はいはい、いいわよ。あなたも私のために活躍してくれるのならね。」
思えば、この時点で兆候はあったことになる。 一国の皇女に対して警護を行う人員が何人も付くのは、別に不思議でも何でもないことだとしても、おおよそ、過剰とも言えるような人数が付けられていた。その理由が漏れ聞こえてくるまでに時間は必要なかった。
「あの皇女様、誘拐予告を受けてるらしいわね。」
「聖騎士団に盾突くって時点で正気の沙汰じゃあねぇけどよ。それだけの自信があるってことだろ?実際、大丈夫なのかよ?」
「ねぇ、・・・これってチャンスよね。ここで、活躍すれば、ベリアルさんの目にも触れる。ダーダネルさんどころか、それこそ、ボルアス騎士団長にだって。」
「ちょっと、待ちなさいよ。あなたは、これから、何をしようとしてるの?」
ジェシカは勝利を確信した自信に溢れる表情を浮かべて答えた。
「―――堂々と向こうから来てくれるって言ってるのよ?ここは、私が、皇女様の身代わりになって、あちらさんが攻め込んできたところで、直接返り討ちにしてやるのよ。皇女様は、どこか適当な所に閉じこもってもらってね。」
「お前、何を言ってやがる?!」
ジェシカは高圧的な態度を崩さないまま、ラノールにレイピアを突き付けて答える。
「私は、親の七光りだなんて呼ばれないだけの活躍を見せつけてきた。いまいち活躍してるように見えないあなたと違って。あなたが、今日も騎士団員としてのうのうと生きていられるのは、誰の活躍のおかげだと思ってるのかしらね?―――こんなチャンス、もうきっと来ない。」
聖騎士団内の空気が変わったのは、実際に脅迫に近い行為が確認されてからだった。それでもまだ、聖騎士団員を打ち負かして、誘拐を実現できる人間など居るはずなどないという考えも根強かった。しかし、その対象が、一国の皇女とあっては、そして、何かがあったとしたならば、築きあげてきたターニアレフとの友好関係は崩壊することになる。
「・・・まぁ、クロート。テメェみたいな弱い野郎が参加して、皇女1人守れないような聖騎士団に成り下がるようなら、この国も終わりだろうな。ところで、ジェシカ?例の話、まだ本気で進めようって考えてんのか?」
「もちろんよ。そのための準備だって進めてるわ。」
「例の話・・・、何の事だ?」
「あら、言ってなかったかしら?この私が、エリアス皇女の身代わりになろうって話。」
「身代わりって、あなた・・・、まだ、そんなことを?!」
「一国の皇女に何かがあってはまずい。でも、私の実力なら、たかが誘拐犯の1人や2人返り討ちにするなんてたやすいこと。―――あなたなら、理解できるんじゃあなくて?」
実際に守れるだけの実力はジェシカ本人が証明してきた。それに、両親が聖騎士団員という後ろ盾も、たとえ本人が認めなくとも、確かにある。聖騎士団員としてのメンツを保つために、これ以上の手段はないと、そう言われれば反論はできないかもしれない。
「確かに、これでうまくいけば、相当名を上げられるだろうし、ターニアレフにも恩が売れるだろうぜ。大層な自信だとは思うがな。」
「何よ、この中に私に反対しようって人間が居るのかしら?」
「ああ。」
クロートはジェシカの真正面に立った。
「―――自ら危険に足を突っ込むなんて、馬鹿げている。」
「バ、バカげてるですって?!なにかしら?ラノールの話ではないけど、この私が所属する聖騎士団は、皇女様1人護ることもできない弱小集団だとでも言いたいの?」
「そんなことは言っていない。命を賭して教皇国を守り抜くのは、聖騎士団員としての責務だろう。だが、これからしようとしていることは、ただ、危険を招くだけだ。」
「おい、ジェシカ。こんな野郎の言葉、聞く必要はねぇ。決めたぜ。何が何だろうが、この話は進めちまおう!!」
「あら、急に味方になってくれたわね。」
「当然だ。皇女様を護ろうって話なのに、テメェ、何で、足引っ張ろうとしてやがるんだ?」
「―――皇女の名を自分の名声を上げるためだけの道具として利用するな。」
「名声を・・・上げるためだけ―――ですって?!」
「違うのか?」
「ちょっと。クロート、待ちなさいよ。少し言葉が過ぎるわ。それに、私には、あなたほど、ジェシカの言葉を否定する理由が思い付けない。ジェシカのことを心配しているだけなら、もっと言い方を選べないの?」
「心配?この私を、クロートが?バカにしないで下さるかしら。」
「―――話にならないな。」
クロートは、そう言い切って、ジェシカの前から離れていった。
「なんだ、あの野郎?!」
「分かったわ。とにかく、ベリアルさんには、一度この話を通さないと・・・。」
実際、聖騎士団はこの誘拐予告に対して、対応を苦慮していた。
私は、ベリアルの姿を探していた途中、よりエリアスの近くに居る聖騎士団員である、ダーダネルと会った。身代わり作戦の話をした後、最終的には、ベリアルに判断を任せるという結論になった。
およそ、私の想定したような理由で、この状況を望んでいるジェシカ本人以上に、セレンディノス教皇国は、この計画を強く推し進める方向へと進み始めた。
「―――やったわ。本当に、私が、皇女様の身代わりになることが決まった。こんなにとんとん拍子に決まるなんてね、さすがはベリアルさんよ。」
「あなたの両親の名前のおかげという話もあるようね?でも、それは、あなたが一番嫌いなことではないの?」
「一国の皇女様をこの手で護れる、こんな光栄なことが他にあって?」
「そう・・・ね。」
あれ以来、クロートがジェシカと一緒にいる姿はなかった。その代わり、ジェシカと、しばらく皇女に付いていたベリアルが話しあっているのをよく見るようになっていた。
その日、私は、ジェシカの姿を一度も見なかった。ラノール、クロート、そして、ベリアルとパーティメンバーが久しぶりに揃っていたことも、余計にその事を気付かせた。
結局、その日は、誰も、ジェシカのことを話題にしなかった。そのことを話題にすること自体がためらわれるような空気が、私達の間にはあった。
陽の沈みかける時間になり、最初に、そのことを話し始めたのは、恐らく事情を一番多く知っているであろう、ベリアルだった。
「今日、宿舎に戻った後も、各自、いつでも出陣できるよう準備を整えていて欲しい。」
「なんだよ、急に。別にそれぐらいの心構え、聖騎士団員になってから一日たりとも、怠ったことなんか、ねぇよ。」
「そうか、それなら、安心できるな。」
そう言って、クロートは、ラノールが返す言葉を一切無視して、先に宿舎へと向かう。
「―――今晩、なのね?予告された日は・・・。」
その言葉で、ラノールは声を出すのを止めた。同じく、無言のままだったベリアルの表情で、それが正しいのだと理解した。
あの一日のことは、きっと、これから先の人生で、一度も忘れる事はない。夢のような一日、夢のようだけど、それは現実。
これまで生きてきた人生と、まるで違う、他人のような人生。実際に、他人の人生として一日を過ごしたのだから、それは当然だけれど、それでも、こんな生き方をしている人間が居るのかと、―――皇女の名で呼ばれ、皇女の待遇を受けて、一日を過ごすことで、それを思い知らされた。親の威光で生きる人生なんてまっぴらだと、実力が全てだと、そう信じて生きてきた人生の意味を、その日一日で、粉々に打ち砕かれたかのようだった。
それでも、人に何と言われようと、これは、聖騎士団員として、―――皇女の身代わりとして、自分から申し出て選んだこと、・・・選ばれたこと―――。
ここに存在することを証明すれば、これまでの生き方は、誰にも否定出来はしない。
広く清潔な寝室に、殺気を隠す複数の気配が混じるのを感じた。こんなに簡単に侵入を許すなんてとどこかで思いながら、あくまで就寝しているのを装い、相手の出方を待った。
距離がさらに近づいてくる、そして、―――間合いに入った。
「そこまでにしなさい!!」
レイピアが相手のソードと交差する。相手は顔を隠すが、まるで動揺を見せることもなく、無言のまま、次から次へと攻撃を仕掛けてくる。
「あなた達に負けるほど、―――弱い私なんかじゃあ、ないのよ!!」
それでも、聖騎士団員と相対するには、実力不足を感じた。手ごたえの無さを感じた。それを不自然だと感じる余裕がないほど、―――追い詰められていたのかもしれない。
視界に入る刺客を全員斬り伏せた後、それでも、緊張を解くことはしなかった。むしろ、昂揚感に満たされていた。このまま、この任務を遂行したあかつきには、聖騎士団員として、ここに確かに存在すると証明できる、そのためにならば、この命に代えてでも―――
「!!」
全身を悪寒が襲った。それから、ゆっくりと体が傾いていくのを感じる。何が起こったのか、全く分からなかった。
あまりにも静かな夜だった。一国の皇女が誘拐される―――、現実にそのような失態があったのならば、余計な混乱や騒動を招かないよう、わざわざ喧伝することもないだろう。だからこその、この静けさ。―――ただ、現実に起こっていることを知っている私にとって、それは、ただ、薄ら寒いだけの静けさだった。
「ベリアル!!分かってんだろうなぁ!!俺は助けに行く。止めるなよ!!」
「・・・当たり前だ。俺には、ジェシカにだけ押し付けた責任がある。」
「―――しかし、なんでこんなに静かなんだよ?大事件じゃあねぇのかよ?」
「大事件だろう。だから、俺達は、―――何もなかったことにするように命じられた。」
「―――見捨てられた・・・、のか?」
悪態をつくラノール以外の全員が、無言になった。
「それなら、決まりね。」
「・・・それが命令だと言うのなら、―――遂行するだけだ。」
ローラとクロートが歩き始める。
「おい、見捨てる気なのかよ、クロート、テメェ?!」
「―――明日の朝には、ボルアス騎士団長に報告する。パーティメンバー5人全員でだ。」
「ああ。団長には、何もなかった、―――そう報告するために・・・。これより、奪回作戦を開始する!!」
意識を取り戻して身の回りを確認して、まず気付いたことは、レイピアが奪われていることだった。今、こんな事態に陥るはめになった元凶たちの声を、息を殺して聞いていた。
「―――皇女の人相くらい覚えておけよ・・・。こんな獲物握ってる女、囮以外のなんだと思ってるんだ?」
「だいたい顔なんか見ちゃあいねぇよ。何人あの女に斬り伏せられたと思ってやがる。そもそも、第一皇女様だって、噂じゃあ、相当の手練れだ。―――連れて行った奴らだって、そのことを前提に・・・」
「まぁ、いいさ。―――誘拐だなんて、もののついでだ。・・・むしろ、なんで、あんなお荷物連れてきやがった?」
レイピアさえあれば、すぐさまにでも突き通しに入ってやろうと思った。こんな、こんなバカにした話があるなんて。でも、そんな気持ちは、続いた言葉で消え失せた。
「―――セレンディノス、アークテラス。もう、死角はなくなった。人数さえ集めれば、牙城を崩すのは容易い。」
妄言だと切り捨てることは出来ない。―――そもそも、今、こんな場所に捕らわれている理由自体、・・・まだ、理解できていないというのに。
「認めたくない。認めたくないけど、―――この私を倒すような人間・・・、そんな人間が、―――何人も、攻め入りに来るだなんて、そんなことが―――」
「あったら、どうするのかな?」
気配なんてなかった。気付いた時にはそこに居た。少しだけ高い声。それでも、男なのか、女なのか、それさえも分からない。声が聞こえた今ですら、気を抜けば捉えられなくなりそうなほどの、希薄な気配―――。だからこそ、思い出せた・・・。
「・・・あなたが、―――私を。」
「ごめんなさい・・・、手加減できなくて。」
レイピアを持っていない今、敵うはずがない。それでも、この至近距離なら―――
「?!」
「・・・すぐ近くには居ないわ。でも、この上の階ね。確実に人は居る。ここで間違いない。―――5人、6人・・・。」
「いつものことだが、―――頼りになる能力だな。」
「何人だろうが構わねぇだろ!!上だな!!」
ラノールは駆け出して行った。止めても止まらないことくらい分かってた。
「―――少し離れたところに、もう1人。」
「・・・それが、ジェシカか?」
私は、その質問に、少しだけ悪い笑顔を浮かべて答えた。
「ええ、よく知ってる、気配よ。」
「ラノールも可愛そうな奴だ。全くよ、じゃあ、止めてやれよ・・・。」
ベリアルは肩をすくめた後、ラノールを追った。
「―――ローラが、・・・ウソを付く理由。―――俺になら、答えてくれるか?」
「・・・ウソなんて、言ってないわよ。」
私が感じ取った気配が、ジェシカの気配だなんて特定することは出来ない。そのことをクロートは言ってる。もちろん、根拠がないわけじゃない。離れた場所に居るのが、囚われてる人だって推測することくらいなら出来る―――、もし、それが、本当に1人なら。
「・・・ジェシカが不覚を取るような相手。きっと、私1人では、勝てない。クロートにも言っておくわ。―――私が、気配を探知できないような存在、・・・そんなものに、あなた1人で立ち向かっても、結果は同じよ・・・。」
「それだけ分かれば、十分だ・・・。」
クロートは迷わず立ち向かうことを選んだ。
「―――2人なら、救える。」
姿がない、気配も捉えられない。そんな敵が、―――ここには居る。
「あなたはとても強い。いいえ、―――アークテラス聖騎士団は、手練れ揃い。いろんな国を見て回ったから断言できる。・・・こんな国落とそうなんて、正気の沙汰じゃない。」
声がどこから聴こえてくるのかも、分からない・・・。
「だから、準備がいる。―――少しだけ長い時間がいる。そんなに簡単なことではない。」
「・・・時間さえあれば、・・・落とせる、そんな言い草ね・・・。」
「―――それでも、セレンディノスの、・・・その時が来たときの立ち位置だけは―――」
なんとなく気付いてしまった。・・・そこに居る人間―――、存在は―――
「―――支配下に置かれていなければならない。」
「人ならざる者の気配―――、気付けないわけね。」
―――私、いえ、私達から、遠い存在・・・。
「ジェシカ・・・、無事だな?」
「ローラ?!あなたなら、分かってるんでしょ!!」
「・・・3人ですか。―――穏便に済ませられそうには、ありませんね・・・。」
「シルフェスタル召喚!!」
それは、本当にただの偶然だった。一秒でも遅ければ、私とクロートに命はなかった。
「ローラ、お前?!・・・そうか、幻術に囚われてるのか!」
幻術―――、ジェシカを討ち取った方法としては、一番しっくりくるものだった。けれど、少しだけ違和感を覚えた―――。どうして、・・・クロートは―――
「俺が、合図をしたら―――、頼む。」
それは、このパーティにおける、2人の、―――クロートと、私のいつもの戦い方・・・。
「クロート―――」
クロートは、何の迷いもなく、駆け出した。―――それなら―――。
「一体―――、何処に向かって・・・るの?」
傍目から見れば、クロートこそが幻術に囚われているかのような、不可解な行動。それでも、私には、・・・クロートが、―――クロートだけは、はっきりと見えていた。そして、ゆっくりと剣を構えながら―――
「ローラ、今だ!!」
だから、私は、何も疑わず、いつも通りに動いた。そして2人の声は重なった。
「荒れ狂う焔の化生よ、我等に力を貸したまえ!サラマンドゥラス!!」
「・・・召喚剣術、焔の構え―――サラマンドブレイズ!!」
そこに居たのは、絶叫を上げながら、炎に包みこまれる者の姿だった―――。
「よかった、本当によかった・・・。」
屈辱だった。クロートは確かに反対していた。それを聞かなかった結果がこの様だった。自分自身への自信、誇り、―――何もかもが、ボロボロに崩れていった。
「俺達に、―――お前のことを救ってやれるだけの力があって・・・。」
それは、昨日までの私なら逆鱗に触れる言葉だったかもしれない。実際、私は荒れ狂う怒りに心を支配されていた。
それでも、私は、その言葉を発したクロートの表情を見てしまっていた。そこにあったのは、それは、ただ、心の底から安堵している表情だった。そして、その表情は、今日、この日、私が出会ったすべての人間が浮かべていた表情に、とてもよく似ていた。
―――自分自身の、聖騎士団員としての存在が確かめられたことの安堵からだと、気付いてしまった。この怒りは、昨日までの自分の生き方と重ね合わせてしまった、自分に対して向けられたものだった。
「クロート・・・、ベリアルさん達に合流するわよ。」
きっとラノールも一緒にいる。全員が助けに来てくれている。そう言いながら、ローラは、私のことをまるで気遣うかのように少しだけ見ていた。
「ちくしょう!!人数が多過ぎる?!」
「ラノール、お前は、まだ、動けるか?」
「・・・動けるかって、―――そんな大怪我しちまってる奴のセリフかよ、それ?」
「威勢がよかったのも最初だけだったなぁ。」
「拍子抜けって奴だな。これなら、あのレイピアの女の方が強いぜ。そこに居る奴も、もう脅威じゃねぇ。そこの雑魚に足引っ張られてなきゃあ、まだ、戦えただろうになぁ?」
「連中の言葉に耳を貸すな・・・、冷静になれ。」
「冷静になれだ?!ここまでコケにされて、黙ってられるか?!!」
「ラノール、やめろ!!」
いきり立って斬りかかるラノールの剣は、囲まれた3人に止められ、なすすべもなく、反撃を受けていた。
「ラノール!!私は、ここに居るわ!!」
ジェシカの声で、ラノールとその周りの人間が一斉にそちらに注意を向ける―――
「―――この私が、誰の目にも止まらない―――、なんて、悲しいことかしら―――」
窓からは月明かりがこぼれる、その中を、舞うように飛び降りた1人の女性。それに気付くクロート達の後で、振り返ろうとした者達は、その華麗なる姿を視界に入れることもかなわないまま、その手によって鮮やかに斬り伏せられていった。
「あ、あなたは?!」
「あら、綺麗な騎士様ね―――。お怪我はなくて?」
「もう十分でしょう。―――ご足労いただいたのですが・・・、こんな結果になるとは。」
そこに現れたのは、聖騎士団のトップ、ボルアスと、その傍に控えているダーダネル。そして、本来、誘拐事件で囚われることを予告されたはずの、第1皇女、その人だった。
「ボルアス殿―――、私の竜がもう少し速かったならば―――、申し訳ありませぬ。」
「いいわ、あなたが、責められることはない。」
それから、決して高貴な振る舞いを崩さなかったエリアスが、初めて表情を歪める。
「―――それでも、堪えますわね。こうして、また、―――ナロムアデル卿の足取りすらも、掴むことができなかっただなんて―――。」
こうして、アークテラス聖騎士団に突き付けられたターニアレフ第1皇女誘拐予告事件は、件の皇女自身の手によって、幕を下ろされた・・・。
その翌日からのアークテラス聖騎士団は、前日までとそれほど形を変えたようには見えなかった。しかし、当事者から見れば、それは大きな変化だった。
エリアス皇女は騎士団として所属し続けていながらも、姿を現すことはほとんど無くなった。しかしながら、アークテラスの民には、誘拐予告などという大それた事件を起こそうとする不埒者を自らの手で成敗したという事実に則した武勇伝が伝えられ、さらなる畏敬の念を集めていた。それは、同時に、当日、実際に起こったことが隠されたことを意味していたが、ベリアルのパーティが、何のお咎めもない、などという結果には当然ならなかった。ベリアルは、私に対する任命責任を問われ、皇女はおろか、教皇国自体から距離を置かれることとなり、事実上、パーティ解散と言っても差し支えない状態となっていた。結果として、作戦を失敗に終わらせた私や、目立つ活躍をすることのなかったラノールは、向けられる無言の視線に耐える日々が続くこととなった。
そして、かつて、ベリアルのパーティに属していた、残る2人は―――
「クロート殿、ローラ殿。このダーダネルめと共にボルアス殿の御前へ参りましょう。」
その日より、クロート、ローラ、そしてダーダネルの3人は、アークテラス聖騎士団として、目覚ましい活躍をあげ始めた。周辺の街にその名を知らぬ者など居なくなる日が来るのも、時間の問題となっていた・・・。
「―――クロート・・・。絶対に、・・・私は―――。」
「ジェシカ・・・。クロートの野郎―――、あいつだけは、・・・アイツだけは―――!!」
膠着し始めていた場の空気を変えたのは、ボルアス聖騎士団長の発言だった。
「他でもないカローナ女王の発言であれば、それ以外の何者の発言であろうが優先されるべきであろう。しかし、世の中には例外があるということを伝えなければなるまい。」
「・・・例外、―――我が女王陛下よりも優先されるものなど?!」
「同盟国たるターニアレフ国元首、カーネル、そして、かつては、我が聖騎士団に属した経歴を持つ、かの国の第一皇女、エリアス。お二方の連名による、正式な依頼状だ。優先されるべきは同盟国・・・。もっとも、それだけで納得などすまい。何、どうせターニアレフ国との間に存在する国々には、話を通さなければならなかったのだから、今ここに居るローズハイム国の者に委ねようかと思う。」
「何の・・、話を・・・?」
「―――悪い話などでは、ない・・・と、思うのだがな?」
そこで告げられた話―――。それは、そこに居た全員の耳を疑うような、―――そして、想像すらすることもできないような話だった・・・。
「・・・どうして、―――ターニアレフ国に、―――悲劇の少女・・・が?」
「なるほど。つまりは、―――この場に居る、誰にも、事態の進行を掴めなかったと。」
ダーダネルは1人納得したように話を始めた。
「このダーダネル、耄碌したようですな・・・。いずれ、その日が来ると理解していながらも、―――決して忘れていなかったと自負していたはずだというのに。ターニアレフ国に悲劇の少女であった者が訪れる理由―――、むしろ、ローズハイム王家に居る者ならば、知るのではないか?グランドカロメラルの頂きを望むことの出来る者たちならば・・・。」
少しの静寂の後に、ローズハイム兵が口にした・・・。
「・・・女王に、―――報告だ。」
「ローズハイムの者よ。ならば、同行を願いたい騎士団員が何名か居るのだが・・・。」
そう言って、ボルアス騎士団長は、アークテラス聖騎士団員全員に向き直る・・・。
「これより召集を掛ける。目的地は、ローズハイム王家。指令は、ターニアレフ第一皇女の近衛として、―――近付く全てを排斥すること―――。」
聖騎士団全員に動揺が広がっていった。それは、誰もが知っていることだった。
「―――エリアス皇女・・・。また、・・・身代わりになれと・・・でも?」
「俺らは、・・・アークテラス聖騎士団・・・。なんで、ターニアレフなんかに・・・」
そして、最後にボルアス騎士団長は、幾人かの名前を告げた・・・。
「―――以上の者は、ローズハイム王国にこれより向かってもらう。率いるは―――」
私は、静かに手を挙げた。―――ローラ=クランバルトの名前を告げながら。あなたが1人向かった先、鳥啼くこの空彼方へと近付く、そのために・・・。
2015/09/24 edited (2015/05/13 written) by yukki-ts next to
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