[stage] 長編小説・書き物系

eine Erinnerung aus fernen Tagen ~遠き日の記憶~

聖杖を持つ者 ―第7幕― 第43章

 空は青く、時折、白い雲が流れた。山を越え、遠くこの地へとやってきた。
 スートレアスの街に訪れるのは、半年振りのことになる。平原の西側に拠点を持っていた、とある大きな盗賊団を解散させて以来、『アークテラス聖騎士団』に、依頼が来る事もなくなっていた。
 一時期、この盗賊団は、スートレアスの街の人口の半数に相当するほどの隆盛を誇っていたものの、今となっては、アークテラス聖騎士団の名の元、逆らおうなどとする、身の程知らずなど居なくなったという意見が、これまでの定説だった。
「クロート殿。・・・クロート=トゥリューブ殿!!」
 クロートと呼ばれた、その剣を携え、平原を流れる涼しい風に髪をなびかせる青年は、呼びかけたその老人に対して振り返った。
「ダーダネル、何か、分かったのか?」
 その横から現れたのは、すらっと背の高く、強い意志を秘めた瞳を持ち、長く艶やかな髪をした、まだ若い女性だった。
「彼奴らは、西の森の中に潜伏しているようね。・・・こちらを大分警戒していたわ。もう、私達の動きに感付いているらしいわ、クロート。」
「―――おそらく、新手の寄せ集めで出来たような盗賊団でございましょう。・・・しかし、被害を出してしまった以上、見過ごすわけにはいきますまい。」
 クロートは、剣を抜き、前方に振りかざす。
 実際、この地方には、モンスターと呼称される、人間に対し敵意を持つ存在が、極めて少ないため、剣を抜き、戦うことは稀だった。
 仮にモンスターが現れたとしても、街の守衛程度の力で十分も街を守ることができる程度の強さしか持たない。わざわざ、卓越した戦闘技術を持つ、聖騎士団が出る幕ではなかった。
 しかし、それにも関わらず、アークテラス聖騎士団の中において、トップの任務遂行率を誇る、このパーティが指名されることは、それなりに、聖騎士団全体を緊張させた。
 ダーダネルの発言は、今までこの地が安泰であったことと、自らの誇りから来るものであって、実際に、そうであるという確証は、何一つなかった。
「突入の機会を見計らうべきだろうか?・・・ローラ。」
 ローラと呼ばれた、その長身の女性は、クロートに向き返る。
「あなたの指示に従うわ。」
「―――彼奴らの動きが知りたい。・・・一刻も早く、突入しよう。」
 クロート達、聖騎士団のメンバーは、一路、スートレアスの西に広がる森へと足を踏み入れていった。



 森は、奥まで進んだ所で、山脈にぶつかるだけの、特に何もない場所だった。モンスターの巣窟としては、これ以上もない格好の場所だった。
 しかし、それも、今では様子が変わっていた。明らかに、人の踏み荒らした跡が、あちらこちらで見受けられた。何者かが、頻繁にここへと出入りしているようだった。
「人の気配のようね。」
 ローラの忠告に、クロートは、木陰へと身を隠し、様子を見る。数名、見張り役と思われる軽装の盗賊らしき影が、そこにはあった。
「奴らの動きに変化があればここを動く。恐らく、彼奴らは本拠へ向かう・・。」
 ローラとクロートは、その影が動くのをじっと待っていた―――
「吹き荒ぶ嵐の神よ、出でよ!!」
 突然、ダーダネルの詠唱が響き渡った。暴風を召喚し、それをクロート達の背後へと投げかけた。木々をなぎ倒し、その先に、襲い掛からんとする3名の影を見た!!
「いつの間に!?」
「ローラ!!火焔を!!!」
「荒れ狂う焔の化生よ、我等に力を貸したまえ!サラマンドゥラス!!」
 ローラの持つ杖から姿を現した、焔の化生―――サラマンドゥラスが、クロートの剣へと巻きつく!!
「召喚剣術、焔の構え―――サラマンドブレイズ!!」
 クロートは、剣をその3人へめがけて振りかざす。剣に憑依するサラマンドゥラスは、逃げるその影に迫り、逃げ道を断つ!!
「外の人間だ!!全員、応戦しろ!!」
 森の奥から、異変に気付いた盗賊達の声が聞こえるようになった。
「サラマンドゥラスよ、元のあるべき姿へ還れ。」
 3人は、なるべく姿を見せぬように、その声の集団へと走る。



「彼奴らの人数は!?」
「―――数十、いや、百を下らぬやもしれん・・。」
「開けた場所へ出るわね。・・・戦闘の準備を。」
 クロートを先頭に、3人は、盗賊達の本拠へと足を踏み入れる。次の瞬間、敵からの猛攻撃が開始されるが、召喚魔術の前に、その動きを止められる。
「奴らの頭は、この奥か?」
「―――気配は、確かに奥から来るわ。」
「応援を呼ぼう。―――まずは、頭をなんとかしなくてはならぬからな。」
 ダーダネルは、走る2人の後ろで立ち止まり、天を仰ぎ、全知全能の神に対して救いを求めた。やがて、ダーダネルを中心として、円形の魔法陣ができる。
「―――我を、アークテラスの地へ!!この地を司る竜神、出でよ!!」
 そして、円陣の周囲から、この地に古くより棲む、竜神の姿が現れる。ダーダネルをその背に乗せ、一路アークテラスへと向かうのを見届けた。
「ダーダネルが援護を呼ぶまでに、頭を潰す。」
「優美なる空気の化生、我等に力を貸したまえ!シルフェスタル!!」
 周囲から、穏やかに聖なる力に満ちた空気が集まり、2人を包み込んだ・・・。
「彼奴らが何処から現れるかわからないわ。・・・奴の目の前に出るまで、シルフェスタルを守りとして使う・・・。」
「奴の目の前に来た時、空の構え―――」
「―――段取りのように、うまくいくはずは、ないようね。」



「召喚剣術、空の構え―――シルフウィスパルド!!」
 クロートは、瞬時に自らの剣にシルフェスタルを憑依させ、周囲を真空波でなぎ倒す。クロートとローラは、さらに奥へと駆け抜けた。
「―――気配、人のものじゃない!?」
 黒い悪魔の異名を持つモンスター―――、ホーンデビル4体の姿が見えた。
「―――黒い悪魔、最近見なくなっていたと思ってたんだがな・・・。」
「彼奴らの中に、モンスターを操る人間が居るって言うの?」
「傷付ける理由はないが、仕方がない。サラマンドゥラスを憑依させてくれ。」
「時間を稼いで、奴らを引き付けて・・・、その後よ。」
「―――後ろからも来たか!?」
 クロートは剣を抜き、ホーンデビルに攻撃を加える。
「シルフェスタルよ、元のあるべき姿へ還れ。」
 ローラは、シルフェスタルを解放し、後続に振り返った。
「荒れ狂う焔の化生よ、我等に敵を討つ力をあたえたまえ!!サラマンドゥラス、地を迸る刃となれ!!!」
 サラマンドゥラスは、ローラの杖の指し示す方向へと向かい、一瞬にして、後続から迫りくる盗賊達を、焔の海で包み込んだ!!
 クロートは2体目を撃破した直後だった。その背後から別の一体が黒き腕で迫る―――
「―――クロート!?」






「間に合わない!!―――シルフェスタル、我に力を!!」
 同時に2体を召喚するローラの体中に、耐え難い苦痛が走り抜ける。間一髪のところで、シルフェスタルの放つ柔らかな空気の層が、クロートをその攻撃の直撃から守る・・・。
「召喚剣術、空の構え―――シルフウィスパルド!!」
 空の構えが、ホーンデビルに対して実害を与えないことは知っていた。だが、クロートは、一刻も早くローラの元へ行くための時間を稼ぐことを選んだ。
「ムチャなことをするな。―――シルフェスタルはローラがもっていろ。 ―――できるだけ、ここから離れてくれ!!!」
 背後から襲いかかろうとするホーンデビルを寸前のところで剣で防ぐ。ローラが、シルフェスタルの柔らかい空気の層に包まれたのを見届け、すかさず剣を戻し、森の方向へと進む。
「焔の化生よ!!・・・我の元へ集え!!!」
 クロートは、剣を前方に突き出す。次第に剣の周囲をサラマンドゥラスが覆う。その背後から2体のホーンデビルが迫り来る。
「―――召喚剣術、焔の構え―――サラマンダルグランド!!」
 クロートは、周囲一帯を荒れ狂う炎の渦で覆い尽くした。炎の勢いに耐えられず、ホーンデビルはあるべき場所へと還っていく・・・。
「ローラ・・・。」
 クロートに近づくローラの姿に気付き呼びかけた。
「私の過ちよ。・・・迷惑をかけたわね。」
「大丈夫だったのか?・・・一度に2体も召喚したりして?」
「―――シルフェスタルのおかげで、少しは楽になったわ。今は、彼奴らの頭を!!」



 クロートとローラは、ホーンデビルらが護っていたその小屋へと突入した。
「―――そこまでだ!!・・・これ以上の犠牲は出したくない!! 大人しく、言うことに従うんだ!!」
 部屋に響く声を聞きながら、中の光景を、ただ茫然と見ていた。数人の盗賊達―――、その自らの喉や腹を切り裂き、その亡骸の中心に、1人の男が座り込んでいた・・・。
「ど、どういう事だ?」
「―――ルト=レアノス様に、栄光のあらんことを。」
 ローラが、その名を聞き返した直後、その男もまた、自らにナイフを入れ、息絶えた。
「―――亡骸以外は、盗んだ物も、何も見当たらないわね。」
「ルト=レアノス―――。」
 ローラがクロートの腕を持つ。その声に、眼前の光景に対する感情は含まれなかった。
「気配が近づくわ。恐らく、―――アークテラスの人間。」
「後は、皆に任せよう・・・。」
「―――どうするつもりなの?」
「先に戻る。―――今回の事は、これで終わりではない気がする。・・・何か、嫌な予感がしてならないんだ・・・。」
 クロートの心の中を映すかのように、空は暗く雷雲が立ち込めていた。クロートとローラは、アークテラスへの帰路についた。



 クロート=トゥリューブ。21歳にして、アークテラス聖騎士団において、凄腕の召喚魔術剣士として、その名を連ねていた。
 彼の側近には、サモナー系召喚魔術師である長身の女性、ローラと、アークテラス北方の教皇国―――セレンディノス出身の神聖系召喚魔術師、ダーダネルが古くから仕えていた。
 幾度にも及ぶ戦闘において、高い実績を誇るこの3人のパーティは、アークテラスはもとより、その近辺の者にまで、広く知られる存在だった。
 聖騎士団の名が示すように、かつての混沌とする世において、セレンディノスの精鋭として仕えていた時代もあり、旧き時代から、剣と召喚魔術は、切っても切れない関係にあった。
 アークテラスの城門をくぐり、クロートとローラは、騎士団長の御前へとやってきた。
「新手の盗賊達の追撃の前に、彼奴らの頭の最期を目撃、帰還した次第。」
「―――クロート。・・・ダーダネルの様子を伺ったが、今回の件は、相当に骨の折れる依頼だったようだな・・・。」
「ボルアス騎士団長。―――1つ気になる点が・・・。」
「どうした?彼奴等の始末ならば、今、ダーダネル達に任せてる。」
「彼奴等の頭が最期に口走った言葉が。」
「―――辞世の句か?」
「ルト=レアノスに、栄光のあらんことを―――と。」



 クロートは、胸にわだかまりを残したまま、自らの部屋へと戻った。剣に迸る血潮を丁寧に磨き研いだあと、鞘へとしまった。
 体中に疲れがあったが、不思議と眠気はなかった。そのままクロートは、ベッドへ寝転がり、じっと天井を見つめていた。
 ルト=レアノス。そのような名前に、まして、盗賊に知り合いなどなかった。半年振りとも言える戦いにおいて、多少、肉体や精神に疲れがあったのだろう。
 事実、召喚剣術の腕も、かつてに比べ、明らかに下がっているのに気付いていた。訓練を怠っていたわけではない。ただ、自分の満足のいく動きが、いつしか出来なくなっていた・・・。
「戦いになれば、毎日こんな調子なんだろうな・・・。」
 自分にそう言い聞かせ、クロートはゆっくりと瞳を閉じた。




 ―――何者かが胎動する。心臓の鼓動が早まるのを感じた。
何もないその空間の歪みの中で、それは確かに動き始めた。

 闇に包まれる、その奥に影を見る。際限なく続く、その闇の深淵の奥へと、
堕ち続けるその影を。手を伸ばすその先に、虚空の広がるのを感じた。

 幼き身体に、それは深く刻み込まれる。辺りは静寂のみが支配していた―――。




 クロートは静かに目覚めた。窓の外に映るものは、白く冷たい霧だった。ひどく、体温の下がっていることに気付いた。
 ゆっくりと、ベッドから離れ、窓へと歩み寄った。身体に想像以上の重みを感じた。
 部屋の扉がゆっくりと開き、そこからローラが顔を覗かせた。
「もう、起きているのね。」
「ああ。酷く、体が重いがな・・・。」
 ローラは、窓のそばのクロートに近寄った。
「ローラ・・・?」

「見て、あの白い海鳥を。―――クロート、あの海の先に、何があるのかしらね。」

 静かに海へと飛び立つ鳥達を指差す。
「きっと、素敵なところだと思うの。それでも、鳥達はあんなに哀しそうに飛んでゆく。」
 クロートは、ローラの横顔を見る。その瞳に涙を浮かべていた・・・。ふと、その視線に気付いたローラが、クロートの方に微笑みかけた。

「―――そこまでにしてもらえるかの、お若いお二人さんよ・・・。」

 ダーダネルが入ってきた。部屋を一瞬、静寂が満たした。
「―――ボルアス殿が皆に召集をかけられたようです。準備は出来ておりますな?」
「ああ・・・。」
「ええ、行きましょう。」






 既に、騎士団長の御前には、騎士団の面々が集っていた。
「彼奴ら、新手の盗賊団は、教皇国とスートレアスを結ぶ街道沿いの峠に現れるという情報を得た。クロートら、3人にだけ任せるわけにもいくまい。アークテラス聖騎士団の名にかけて、彼奴らを壊滅させよ。」
「クロート殿。ほぼ、騎士団の4分の1という規模で今回の依頼にあたります。指揮は、そなたがとられることとなりましょうぞ。」
「ああ・・・。」
 クロートは、皆の前まで歩み寄り振り返った。
「―――任務遂行のため、全力を尽くしてくれ、みんな!!」
 クロートらのことを知る者ならば、その言葉でどれだけ勇気づけられたか、計り知れなかった。クロート達のメンバーに配属されること、それ自体、十分に、その力量を認められていることの証といえるものであった。
 だが、中には素直に喜ぼうなどとしない者達も居た。
「クロートが指揮かよ。何も起こらなきゃあいいがな。」
「ラノール・・・、少しは口をはさまずに黙っていろよ。」
「ちっ、俺は、ここに残る方が気が楽なんだけどよ。実際、4分の3は残るんだ。そっちの方でいいだろ、ジェシカ?」
「いい加減、あなたもクロートの奴と和解したら?根に持ち過ぎよ、あなた。」
「―――そういうお前こそ、クロートを憎んでるんだろ?殺したいくらい。」
「ラノール!!」
「時と場所を弁えるということを知らないの?ラノール、べリアル、ジェシカ・・・。」
「ローラ、お前。」
「―――そんなにクロートを殺したいのなら、まずは、今回の任務で、せいぜい、死なないように遂行してからにすることね。」
 ラノールが、舌打ちした後に口を閉じたのを見てから、クロートが続けた。
「とにかく、全員が無事に還れることを、祈る。」



 クロートら、今回の依頼に派遣された数十という聖騎士団の面々は、一路、アークテラスとセレンディノスを結ぶ緩やかな坂の街道を上っていた。
 辺りから、永遠と続く騎士団の重い足音以外には、何も音は聴こえなかった。空は灰色に曇り、辺りは薄気味の悪い霧で真っ白だった。
「セレンディノス・・・教皇国―――」
 クロートは、遥か前方の丘の上に、荘厳な城の影を見た。旧き時代より、神聖なる賢者たちの住まう場所とされてきた場所。
 クロートも、この場所には、何度か訪れたことがあった。重要な儀式や、巡礼の際の護衛として依頼されることも、決して珍しいことではなかった。
 特に、ダーダネルが、教皇国において、その名を広く知られていることで、クロート達と共に、何度も護衛として呼ばれていた。
「ここを過ぎれば、目的の地はすぐだ。皆、気を引き締めてくれ!!」
「クロート、テメェに言われなくとも、こっちはいつでも準備できている。」
 ラノールは、右手に持つ剣を振りかざした。
「ラノール、今は黙って。」
「ジェシカ・・・、なんだよ、急にそんな声で―――」
 雰囲気が、明らかに重苦しかった。雰囲気にラノールも押しつぶされそうになる。
「ちっ・・・、なんだよ、盗賊団の、1つや2つ・・・」
 ラノールはこの時、まだ知ってはいなかった。ラノール以外の騎士団の者達も、これから起こることを予想できていた者などいなかっただろう。
 その場に居る騎士団、それぞれが持った直感は、脳裏に悪い予感を及ぼしていた。



 やがて、峠を越え、クロート達は目的の地点へとやってきた。
「突入する―――。」
 クロート達3人を先頭に、騎士団は、その小さな集落へと入っていった。やがて、メンバーは集落のいたるところへ、当初の計画通りに散開していった。
「気配は十数・・・。恐らく、1つの場所に固まっているわ。」
「吹き荒ぶ嵐の神よ、出でよ!!」

 ダーダネルはその気配にいち早く気付き、攻撃を仕掛ける!!
「3人か!?」
「荒れ狂う焔の化生よ、我等に力を貸したまえ!サラマンドゥラス!!」
 クロートは、焔の宿る剣を構え、3人に向かい走る。
「召喚剣術、焔の構え―――サラマンドブレイズ!!!」
 剣から放たれる熱に反して、氷のように冷たい表情で、辺りを薙ぎ払う。そのクロートの動きを翻弄するかのように攻撃をかわし続ける。だが、それも、召喚剣術を使うクロートの敵にはならない。
 敵を追い詰めた後に、撃破したクロートは、ふと振り返った。
「霧が、濃くなってきたな。・・・いったい―――」
 辺りに、ローラとダーダネルの姿は、なかった。
「ローラ?・・・ダーダネル!?」
 サラマンドゥラスの宿る剣を構えたまま、辺りを見回す。霧が、辺りの視界をゆっくりとせばめていった。
「誰かと、合流すべきか。」
 クロートは、奪われた視界の中、集落の奥を目指し走り始めた。



「俺の声が聞こえるか!?返事してくれ!!」
 霧にその声は吸い込まれていく。―――首筋に何かの気配が通り抜けた。クロートはその感覚に足を止め、辺りを見回した。
 その次の瞬間に、クロートは右の脇腹をえぐられたかのような衝撃を受けた。突然のその攻撃に、右手に持つ剣を、前方へと取り落とす。
「!!!」
 持ち主から離れた剣に宿っていたサラマンドゥラスは、解放された。そして、クロートは、辺りの光景に息を飲んでいた・・・。
 無数とも言える、半透明な浮遊体が辺りをうごめき尽くしていた。向かい来るその塊に対して、クロートは、素早く動き剣を手にした。
「くらえっ!!」
 切り裂いた先に開けた視界に向かい、クロートは走り出す。混乱する頭を振り払うかのように、何度となくその浮遊体を切り払う。だが、何も召喚されてすらいない剣では、かき消すことなどできなかった。
「誰かが居る!?」
 前方に見えた建物に、何者かの影を見つける。
「クロートだ!!聖騎士団の者か!?」
 その影は、クロートの方を向き、何かの呪文を呟く。右手を突き出し、その先から半透明な浮遊体を放つ。
「くっ・・・。」




「―――ルト=レアノス・・・か。・・・例の件は?」
「既に、数名の者をターニアレフの地へ。・・・ボルアス様。」
「ターニアレフか。・・・報告を待とう。」
「かしこまりました、ボルアス様。」







 クロートは、的確にその攻撃を見切り、よけながらその者に近づく!!その影は、建物の中に控える者に、合図を送る!!
クロートが、建物の近くまで来た瞬間、建物の中から、ショートソードを両手に構える、2人の盗賊がクロートに攻撃を仕掛ける!!
「お前等!!」
 クロートは、剣でそれらの攻撃を受け止める!!幾分、不利な状況で、押されたかのようにも見えたが、一瞬の隙をつき、一人の盗賊の持つショートソードを地面に叩き落す!!一気に間合いに入り込み、ショートソードで相手の急所を的確に突く!!もう一人からの攻撃からよけつつ、そのまますぐに自らも攻撃へと転じる!!
「なっ!?うごかない?」
 クロートの右腕に半透明の輪のような物質がまとわりつく!!盗賊のショートソードを左肩で受ける。ショートソードが抜かれる瞬間、血が噴き出る!!
 しかし、その直後、クロートは左手で動かなくなった右手に握られる剣を抜き、右手を縛り付けるその半透明の輪を断ち切る!!!
 右手の自由を取り戻し、疾風の如く盗賊に近寄り、一気にこれを撃破する!!
「残るは、おまえか!!」
 クロートは振り返り、薄笑いを浮かべるその者に剣を振りかざす!!しかし、剣は・・・、虚空を切り裂いたに過ぎなかった・・・。
「どこに・・・、何処にいった!?」
 その建物の中には、昨日、森の中で最後にみた、あの光景が広がっていた・・・。剣を鞘にしまい、クロートは胸に何かつかえるままに外へと出た。



「ジェシカ・・・」
 クロートは、遠くからラノールらしき者の叫びにも近いその声を聞いた!!
「ラノール?・・・ラノールか!?何処だ!?」
 霧で視界が晴れない中、クロートは途切れ途切れに聴こえるその声を頼りに走る!!
「彼奴らだけじゃ、なかったのか!!」
 時折、地面に血が落ちているのをクロートは見ていた。脳裏に浮かぶ、最悪の結末を振り払いながら、クロートはひたすら走った!!
 次第に、クロートは辺りに、見覚えのある顔をもつ聖騎士団の面々の、血にまみれて倒れる姿を多く見るようになってきた。
 いずれもまだ、息はあったが、身体は冷えきり、表情は恐怖で強張っていた・・・。
 クロートのいた場所とは比べ物にならない程の、半透明の浮遊するものが幾度となく、クロートに迫ってきた!!
「すまない。・・・必ずここに戻る!!・・・まだ、動けるものはいるか?」
「―――クロート・・・さん。・・・突然、何かが・・・。」
「気をつけて・・・。・・・ここには、何か・・いる・・・!!」



 やがて、クロートは動く影を見つけた。
「やめろ・・・。・・・もう、やめ・・・て・・・くれ・・・。」
 ソードを振るうその者の姿を、クロートは見たことがあった。―――ラノールだった。周囲には、さっきほどの大量の浮遊体は存在しなかった。
 そばの壁には、もたれかかっているベリアルとジェシカの姿を見ることができた。
「ラノ―――」
 クロートは、既に体力を奪われきっているラノールの背後から襲い掛からんとする、大量のその半透明の浮遊体が迫り来るのを見た!!
「ラノール!!伏せるんだ!!!」
 ラノールは突然の声に驚くが、クロートが迫り来るのを見た直後、とっさに伏せる!!クロートは、その集団を寸前のところで切り払う!!!
「クロート・・・、お、お前―――。」
 震えるその声を背後で聞いた。クロートはラノールの方へと向き返る・・・。
「お前には・・・何か・・・見えるのか―――」
 ―――ラノールの背後から、その浮遊体は、突如大量に押し寄せる!!ラノールはその衝撃にゆっくりと力なくうずくまる・・・。
「何奴・・・。」
 その後ろには、数十の盗賊と、その中心に、全身を黒き布で覆う謎の男が、最後に動く者となったクロートに向かって立っていた。
「仲間が何の抵抗も出来ずに傷つき、倒れていくのを見て、お前は、どう思う?」
「何だと?」
 黒き布で全身を覆う、その男は少しずつクロートにねじり寄る。
「盗賊風情と侮った、その愚かさを悔いることだな・・・。」
「お前、何故、ここまでする・・・。」
「知るか。・・・何も出来ない、聖騎士団のリーダーさんよ。」
「何も・・・出来ない・・・だと・・・?」
 クロートは、剣を構える。
「何も出来まい。できたにせよ、それがどうなるという。自らの非力を、恨むんだな。」
 クロートの剣は、その男をかすめる。
「炎獣よ、我の前に出でよ・・・。―――ヒートマグマ・・・。」
 突如、辺りの霧が、灼熱の炎へと変わり、クロートに襲い掛かる。次第に全身に、その炎は回る。猛烈な熱気の中で、クロートは、辺りが霞んでいくのを覚えた・・・。




「―――幻を邪な目的に操る者よ・・・。」

 静かな、そして落ち着いた女性の声が背後から聞こえる。
「―――時の力の下に、摂理を乱す者に制裁を加えん。」
 クロートは、背後から、何か鋭いものが突き刺さるような感触を覚えた。しかし、それに包み込まれた瞬間、体中から、不思議とすべての感覚が消えていくようだった。
 辺りから次第に、悪魔のように白くうごめいていた浮遊体が、少しずつ、周りの空間へと溶けていった・・・。
「何者だ、貴様は?」
「―――盗賊どもに、名乗る筋合など、ないわ。」
「おのれ・・・・、ルト=レアノス様の名を汚す気か・・・。」
「―――ルトの配下の者。・・・また、この世に現れたようね・・・。」
「幻界に棲む者よ、我に力を貸せ!!」
「―――告げることが出来るのなら、彼奴に告げなさい。復活の時を、誤ったと・・・。」
「何・・・?」
 その女性は、盗賊達の近くにかけより、その中心に青く輝く魔方陣を描く!!
「時空の流れに従い、幻をここに封じん!!!」
 クロートは薄れゆく意識の中で、その、この世のものとは思えない光景を見ていた。猛烈な勢いで、その魔方陣から発せられる青き光が、すべての半透明の浮遊体とともに、黒き布に全身を覆う者を縛り付ける・・・。
「―――ルト=レアノス様に、栄光のあらんことを。」
 その言葉を最後に聴いた時、クロートの意識は、途切れてしまった―――。




「何も・・・見えない―――。」

 クロートは、身を突き刺すような寒さに意識を取り戻した。辺りからは、虫の音と、風の音しか聴こえなかった。
「―――意識が戻ったようね・・・。」
「誰、そうか、助けられたのか・・・。」
 辺りは、夜だった。月も星も出ていなかったせいもあって、ひどく暗かった。







 クロートは動こうとした。鈍い痛みが全身に走るが、ゆっくりと上半身を持ち上げた。
「―――もう、動けるみたいね。」
「他の者は?・・・彼奴らにやられた他の聖騎士団の皆は?」
「まだ、絶対安静が必要ね。・・・こんなに早くあなたが起きるとは思わなかったわ。」
「ルト=レアノス・・・。」
「―――140年前の話よ・・・。」
「140年・・・。」

「―――私は、レイ=シャンティ。・・・時空魔導師として、この世に生かされている者。」

「レイ=シャンティ・・・。」
「綿々と続く時の流れの中で、私は生かされ続けてきた。―――彼奴の所業は、この目に今でも焼き付いて離れないわ・・・。」
 その言葉とは裏腹に、表情は平静のままだった。
「いったい、どういう奴なんだ・・・。」

「―――関わるのを、やめなさい。・・・これ以上の犠牲を出したくないなら。」

 突然、クロートの発言を厳しい口調で制止した。
「だが、このままで引き下がりたくはない。」
「―――聖騎士団としてのプライド?」
「皆は、まるであのうごめく浮遊体が見えていないようだった。でなければ、ここまで無残にやられたりするものか・・・。」
 クロートは、怒りに震えていた・・・。

「浮遊体・・・。―――『幻』が見えるというの?」



「幻なんかじゃない。・・・あれは、確かに敵意を持っていた・・・。」
「―――幻界の住人、私達はそう呼んでいる。本来、この世に姿を現してはならない存在。・・・あなたは、それを見たことになるわ。」
「幻界の住人・・・?」
「―――何も知らないのであれば、私はこのまま、立ち去ることが出来た。でも、あなたは、私達と同じく、幻界の住人を見る能力を持つ。・・・何者なの?」
「クロート。・・・クロート=トゥリューブ。」
「―――クロート。・・・もう、立ち上がることは出来るの?」
 クロートは、静かに立ち上がろうとしたが、ふらついてしゃがみこんでしまった。
「―――しばらく、私もここに留まりましょう。あなたの治癒が完全に終われば、あなたの仲間とともに帰還しなさい。」
「いったい、この世で、何が始まろうとしているんだ・・・?」
 レイは、静かに立ち上がりどこかへ行こうとした。
「―――大きな戦いが始まるわ。・・・誰にも止める事の出来ない・・・。」
 クロートは、静かに眠りについた・・・。




 夢の中で、クロートは再び、闇の深淵の中で胎動する何かの姿を見ていた。

 それが何を意味するものなのかはわからなかった。

 ただ、何もすることができず、手を伸ばそうと、その先には虚空が広がるだけだった。

 闇の深く底へと沈みゆくその影が何なのかを、知る術は何もなかった。

 ただ、繰り返し、その夢はクロートの脳裏に鮮明に描かれていた。




 翌朝は気持ちのよい青空を見上げることが出来た。心地のよい冷たい風が頬をなでる。
 クロートは、ゆっくりと起き上がり立ち上がった・・・。体中の傷はまだ完全に癒えたわけではなかったが、歩き回ることが出来る程度には十分回復していた。
 レイの姿は見当たらなかった。その時になって初めて、自分が、集落の外の小高い丘を背にしていることに気付いた。
「なんで、俺は・・・こんなところに・・・。」
 ゆっくりと昨日の、あの悲惨な戦闘があった集落へと足を踏み入れた。その惨状は、想像を超えていた。
「酷い。・・・なんてことを・・・。」
 だが、建物にもたれかかる者や、横になる者は、安らかな顔をして眠りについていた。恐らく、レイによって、治療を施されたのだろう。話し掛けてみるが、応答はない。
 死んだかのように、静かに眠っていた。
「ダーダネル、ローラ・・・、大丈夫なんだろうか?」
 クロートは、2人を探してその静かな集落の中を歩いた。ダーダネルはすぐ見つかった。
 あの後、ここで数人の者と合流したが、突然の襲撃に、身を挺して召喚したらしい、水の衣を纏う竜が、ダーダネル達を包み込んでいた・・・。
「ダーダネルは、無事だった。・・・ローラは、何処に?」
 クロートは、再び静まり返った集落の中を歩いた。もともと、この集落にも人は住んでいたのだろう。だが、今となってはその形跡はどこにも残ってはいない。
 昨日の惨劇が嘘であるかのように、集落は明るい日差しに包まれていた。だがその中で、ローラの姿は見つからなかった。
「俺が、注意を払っていなかったせいだ・・・。」
 病み上がりの身体は既に、体力が限界にまで達していた。クロートの意思に反して、脚は全く動こうとせず、地面にへばりついてしまった。
「俺は、ひとりじゃ、何も出来ないのか・・・?」
 クロートの目の前で、自らを無力だといい放った、盗賊の言葉。そして、他人の力を借りなければ、自分には何もできない、その不甲斐無さに、クロートは自分を責めた。
 だが、そんな自分の身体は、気持ちとは裏腹に動きを静かに止めていった・・・。




 夜露が倒れこんだクロートの身を少しずつ包む。身も凍えるような月影の下で、
青年に一人の女性が近づく。血にまみれ、無残に切り裂かれた体をはだけたまま、
青年を見つけた女性は、微笑みを浮かべ、やがてその上に力なく倒れこむ・・・。




 クロートは、高くなったまぶしい陽に、ようやく目を覚ました。重い体を起こしたその目の前に、クロートはその女性の影を見た。
「ローラ・・・・。」
 ローラは、目の前でコートをくるまって壁によりかかっていた。
「勝手に動くなんて、無謀よ。」
 クロートは、声の主の影に気付いた。
「もう、俺は歩ける。・・・皆の無事を確認・・・」
「私は、あなたに信じられていないの?」
 レイは、クロートに対して厳しい口調を投げかける。
「私がこの場から、逃げだしたとでも思ったの?」
「そういうわけでは・・・ない。」
「今、動けるのは、あなただけ。ゆっくり、身体を休めなさい。頼る者たちのために。」
「すまない。・・・皆の手当ては・・・。」
「あくまで応急処置にすぎないわ。・・・早くあなたたちの本拠で、安静を保たなければならないことに、代わりはないわ。」
 レイは立ち上がった。
「何処へ・・・?」
「あなたに教える必要はないわ。」



 クロートは、その場所で3日を過ごした。ようやく、クロートの周りには、ある程度まで回復した騎士団のメンバーが集うようになっていた。
「一度、皆を連れて帰還しなさい。」
 レイは、そう告げると静かにその場から立ち去った。クロートは皆のもとへと戻った。
「皆、すまない。・・・俺の力不足だった・・・。」
「気になさるな・・・、クロート殿のみの責任ではない。」
「みんな、こうやって生きていられるだけで、十分じゃない。」
 言われるほどに自らを歯がゆく思っていた。だが、クロートは、やがて立ち上がった。
「向かおう。アークテラスへ。」


2014/12/21 edited (2012/04/08 written) by yukki-ts next to